サイトウ テツロウ
  齊藤 哲郎   法学部 政治学科   教授
■ 標題
  中国共産党とポーランド・ハンガリー事件(1956年)の教訓
■ 概要
  1956年のソ連のスターリン批判の影響で発生したポーランドやハンガリーの反ソ暴動は、中国共産党にそれまでの路線と政策への深刻な反省を促すとともに、民衆運動への対応をめぐる判断における動揺をもたらした。中国共産党は、ポーランド事件においてはソ連の軍事干渉を諫める穏健態度をとったのに対して、ハンガリー事件においては逆にソ連軍による武力鎮圧を強く勧める強硬路線をとった。この二面性は、中国国内の政策にも現れていた。それは、重工業優先政策の行き過ぎを改め、軽工業や農業など民衆生活に直結する部門を重視するよう政策転換したり、百花斉放・百家争鳴運動の実行など政治的自由化を進める一方で、反右派闘争など不満をもつ民衆の抗議行動を「反革命」とみなす両極端の傾向も発生した。その背景には、八全大会における毛沢東と他の指導者の意識の差異のほかに、国内で発生した暴動がハンガリー事件と同種のものとして警戒されたことがあった。このころの判断の差異が、のちの文化大革命につながる「極左路線」と、改革開放政策につながる「現代化路線」の分岐点の一つとなったと考えられる。
  単著   大東法学   32   2023/03


Copyright(C) 2011 Daito Bunka University, All rights reserved.