カワチ トシハル
  河内 利治   文学部 書道学科   教授
■ 標題
  (巻頭言)人と書 ともに老いる
■ 概要
  (高橋其道先生依頼原稿)
 書の美しさはどこにあるのでしょうか。四〇年ほど書論や美学から思索してきました。今のところ、それは書が放つ雰囲気にあり、書を感受する人の「心」にあると考えています。書を見ると、筆と墨によって形づくられた文字の点画の配置、筆の動きと勢い、そして全体としてのまとまりが目に映ります。見た瞬間、優雅、可憐、心地よい、気魄あふれるとさまざまに感受しますが、その味わいが心に語りかけてくれます。専門用語でいえば「書風」、書きぶりです。書き手自身が発する人間性が、磨き上げた技を通して書に映し出されるとき、その芸術性に魅了され、美しいと感じるのです。
 恩師の今井凌雪先生と沙孟海先生は、ともに人品に威厳がありましたし、温厚で敬愛するお人柄でした。遺された数多くの作品は、いつ見ても、いつまで見ていても飽きることのない傑作ばかりです。凌雪師は「書は哲学である」、沙老は「修養のない人は字を書いてはならん」と仰いました。前者は「書とは何か」をよく考えること、後者は「人間性を磨きなさい」と解釈しています。そして座右の両語として肝に銘じています。
 ですので、いつ見ても、いつまで見ていても飽きることのない字が書けるようになりたいと願いつつ書いています。掲げた目標がとても高いので、まずは品の良い字が書けるようになりたいと思い、古典の臨書を繰り返しています。書は、書いた人の品性と教養が映し出される世界ですので、人品が立派な文人の手になる古典の臨書は、最善至高の修養法ともいえます。
 何を書くかも、書く人の見識に関わっています。書く言葉は読書や文筆から探していますし、自詠の詩にも取りくみます。それをどの書体どのような書風で書くか、これは試行錯誤の連続です。
 字を書くにもいろいろな美の体験と感受が必要です。私はまだまだ足りませんので、孫過庭《書譜》にいう「人と書 ともに老いる」の境地を目指して体験と感受を積んでいます。

  単著   『心龍』   日本書芸心龍会   1-1頁   2022/05


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