ヤマグチ ミドリ
  山口 みどり   社会学部 社会学科   教授
■ 標題
  「ホーム・ドーター」――ヴィクトリア期女性のライフコースからみたSeparate Spheres論
■ 概要
  女性はみな結婚して夫に養われるべきという前提とは裏腹に、ヴィクトリア期の富裕層には、娘の一人を独身のまま家庭に残し、家族の世話をさせる慣行があった。本稿はこれまで見過ごされてきたこの「ホーム・ドーター」に注目して、男女の「分離領域(separate spheres)」の問題を再考する。男性=公的領域、女性=私的領域とするジェンダー・イデオロギーが18世紀末から19世紀半ばに強まったとする通説に対し、最近の研究はこの時期の女性が必ずしも私的領域に留まってはいなかったことを強調し、分離領域の概念自体を問題視している。しかしながら、家庭外で活躍した女性の多くにもホーム・ドーターとして家庭に留まらざるを得なかった時期があり、また家庭外に飛び立った女性の背後には通常ホーム・ドーターの役割を果す姉妹の存在があった。この関係を無視して分離領域を論じては、不十分であろう。ヴィクトリア期には「余剰独身女性」の問題が顕在化したが、ヴィクトリア期の現実は、ライフコースの中で家族の形態の変化に応じてさまざまな役割を果す独身女性を必要としてもいた。大家族、高い死亡率、そして男性の晩婚傾向を背景に、寡夫や未婚男性宅の女主人役、弟妹や甥姪の母親役、病気(特に結核)の家族の看護婦役といった役割を(臨時に)埋める「代役」が家庭に待機している必要があったのである。何らかの事情でこうしたホーム・ドーターが不足すると、公的領域で活躍する女性たちも即座に家庭に呼び戻された。そして、家庭から外に飛び出した女性たちは往々にして、ホーム・ドーターへの「借り」を感じていた。つまり公的領域で活躍した女性と、私的領域に留まったその姉妹はコインの裏表の関係にあったのである。19世紀のミドルクラス女性に拡大されていった活動領域は、公的領域におけるものも含め、「女性の領域」を特徴づけるunselfishな義務の延長上にあり、その重要度は、経済的価値や、名声、効率ではなく、活動がどれだけ自己犠牲を伴うかで判断されていた。男女の領域分離の問題は、公私の別ではなく、むしろこうした価値観・理念の違いを重視すべきであろう。(有査読)
  単著   『洛北史学』   (5),1-26頁   2003/06


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