ヤマグチ ミドリ
  山口 みどり   社会学部 社会学科   教授
■ 標題
  ヴィクトリア時代のガヴァネスと女子教育改革
■ 概要
  ヴィクトリア期のガヴァネス(女性家庭教師)は、金で雇われている点でジェントルウーマンの最下位に位置し、また、職に就き、しばしば家族を養っていたという点で当時の女性の領域の外に存在していた。いわば「階層」と「ジェンダー」双方の境界に位置していたといえよう。社会不安とフェミニズムの芽生えを背景に、19世紀中葉にはこうした特殊な立場にあるガヴァネスに注目が集まり、その経済的困窮や無学さ、働くレディの精神的苦痛が大きな話題となった(「ガヴァネス問題」)。英国初の近代的女子中等教育機関となるクイーンズ・カレッジ(1848年創設)は、もともとはガヴァネスを再教育し、専門職として高給を保証しようとする計画として始まった。ところが、ガヴァネス職を通じたロア・ミドルクラス女性の社会的上昇や女性の社会進出を助長しかねない--階層やジェンダーの境界を崩しかねない--この計画にはたちまち批判が集中し、結局はガヴァネス予備軍たるミドルクラスの女性一般の教育へとすり替えられていった。育ちのよい女性の教育水準を押し上げ、万一零落した場合に備えるという間接的かつ遠大な救済方法に止まった訳である。クインーズ・カレッジ設立に始まる女子中等教育改革の結果、19世紀末にはガヴァネスの中でも一部のエリートは比較的優遇されるようになったが、大多数のガヴァネスの経済状況には大きな変化はみられなかった。突然の不幸によりガヴァネスに転落した女性の場合、経済状態はさらに悪化した。女子教育改革のそもそもの端緒は、ガヴァネスの経済的救済であったが、実際に改革の恩恵に与ったのは高額の学費を払って子女に高い教育を受けさせる余裕の家庭の出身者だけであった。ガヴァネスの救済という点からみれば、クイーンズ・カレッジに始まる女子教育改革は不十分であり、「階層」と「ジェンダー」の交点という、ガヴァネスの特殊な立場が問題の解決を阻んでいた。しかし、女子教育改革の結果、近代的女子校教員や医師など「働くレディ」のための選択肢が大幅に広がったのも確かであり、新たに開かれていった職も併せて19世紀末期のミドルクラス以上の女性の雇用条件を考えるならば、その成果は疑いなく大きい。境界の交点に位置するのはもはやガヴァネスだけでなくなったのである。
  『三田学会雑誌』   89(2),158-180頁   1996/07


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