オオハシ ヨシハル
  大橋 由治   文学部 中国文学科   教授
■ 標題
  干寶の天観と『捜神記』の編纂
■ 概要
  『捜神記』の政治的意図は、この説話集が政治色の強い歴史書『晋紀』と同一の著者により編纂されたものであるにもかかわらず、今まで殆ど注目されてこなかった。本論考は『捜神記』編纂の意図について再考し、東晋初期におけるその重要性を明らかにすることを目的としている。『晋紀』は編年体史書であり、この種の史書の特徴は記述の中心となる王朝のみを正統の王朝と主張することである。よってこの『晋紀』は東晋が正統の王朝であることを国内はおろか北方の異民族に知らしめることを目的に著されたものである。序文に明らかなように、その正当化のために人格神としての天帝の存在が前提となっている。『捜神記』の説話からその天観を探ってみると、そこには人格神としての天と原理としての天が存在する。しかし、原理は人格神がいかに変化を降すかという機能を説くものであるため、実質的にはこの二種はともに人格神としての天を語るものである。よって『捜神記』の天観は『晋紀』の天観と共通のものであると判断される。こうしたことから中興に努める東晋初期に『捜神記』を編纂するにあたり干寳は天帝の存在を再び想起させることを企図したと結論づけている。これはこれまでにない『捜神記』像を提起した。 p17~34
  単著   『東方宗教』第106号 日本道教学会      2005/11


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