クリスティアン W シュパング
  クリスティアン W シュパング   外国語学部 英語学科   教授
■ 標題
  第一次世界大戦後の日独関係におけるドイツ東洋文化研究協会(OAG)の役割
■ 概要
  1873年、ドイツ人の学者、外交官、貿易業者等が東京で「Deutsche Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens、略称Ostasiengesellschaft・OAG」を設立しました。日本に現存する学術協会では最も古いものの一つです。1885年に初めて日本人が入会、それを皮切りとして、後世名を残す近衛篤麿、青木周蔵、桂太郎、後藤新平、東郷茂徳らが続いて入会しました。序文では、協会の設立から第一次世界大戦のOAG沿革の紹介を、本文ではワイマール共和国時代(1919-33)のOAG史を中心にとりあげました。第一次世界大戦ではOAGに世代交代などを含めて、変革がありました。ワイマール共和国下の1920-28年に在日大使Dr. Wilhelm SolfはOAGの再建に大きな役割を果たしました。彼の助力のもと、OAGは1926年に『OAG紀要』(NOAG)を創刊し、1945年までに1~70号を出版しました。1923年にOAG創立50周年記念の出版を含む催し事は、同年の関東大地震のために取り止められましたが、1933年の60周年祭には取り行なわれました。1920・30年代にOAG支部はドイツや東アジアにも設立されたことでOAG会員数はその時に増加しました。
  クリスティアン・W.シュパング
スヴェン・サーラ
(ヤコビ・茉莉子訳)

  共著   横浜:春風社   87-122頁頁   2011/03


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