タカハシ ムツミ
  高橋 睦美   文学部 中国文学科   講師
■ 標題
  研究ノート「唐玄宗『道徳真経』御注・御疏に見える「沖気」と「沖用」について
■ 概要
  従来の研究では、唐玄宗の『道徳経』御注の思想の特徴は「妙本」という特殊な語彙に見出されることが多く、その概念と『老子』本文における「道」との関係は、「道」と「妙本」のいずれが上位概念であるかという観点から検討されてきた。本論ではいくつかある先行研究の見解を整理、再検討し、それらのいずれとも異なる理解を示した。
 その際に注目したのが御注・御疏中でしばしば用いられる「沖気」・「沖用」の語である。これらは御注・御疏中でほぼ同じ意味で用いられている語である。これらは「用」「気」とはいうものの、「道」から生成された何者かではなく、その内実は「道」の働きとしての側面を言うものである。本稿の検討の結果、御注・御疏では『老子』にいう「道」を万物の本源として述べる際には「妙本」の語を用い、万物に対する働き、作用を発するものとして「道」に言及する際には「沖用」・「沖気」の語を用いているのであり、畢竟「妙本」も「沖用」・「沖気」も、いずれもがその内実は「道」を指すものであることを明らかにし、先行研究に言うような「妙本」を「道」の上位概念とする説は妥当ではないとの結論を得た。

  単著   『集刊東洋学』   中国文史哲研究会   (111),61-80頁   2014/06


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