フランソワ ルーセル
  フランソワ ルーセル   外国語学部 英語学科   教授
■ 標題
  在外「リセ・フランセ」設立の背景と経緯―リセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京の場合
■ 概要
  外国人学校は,2国間の関係のあり方を反映する貴重な存在である。前回の論文では,1967年の,東京の「リセ・フランコジャポネ」の誕生について紹介したが,今回は,リセ・フランコジャポネの創設者たち(実業家,外交官,一般市民)が,どのような動機で行動を起こしたかに焦点を絞って研究してみたい。リセ・フランコジャポネの誕生以前,フランス式教育を受けることができる学校が,東京には既に存在していた(低学年には「クール・サンルイ」,小3〜高2までは「エコール・フランセーズ」)。それにもかかわらず,新しく学校を作ることにした理由は何だったのか。その理由をもとに,どのような決断をしたのか。そして最後に,元々の動機に沿った結果が得られたのか。
 まず,リセ・フランコジャポネが誕生した背景を詳しく分析する。第1に,日本ではどのような教育機関がフランス語を教授言語としていたのか。第2に,リセ・フランコジャポネが設立された当時,既に存在していた外国人学校やインターナショナルスクールにはどのようなものがあったか,第3に,当時の世界には,他にどのようなフランス式教育機関(リセ・フランセ)が存在したのか。そして最後に,リセ・フランコジャポネが,設立時の動機に反映されている目的をどの程度達成できたのか,その成功の評価を試みたい。
 当時の資料によると,リセ・フランコジャポネの創設者たちが,東京にフランス式教育機関,すなわち,リセ・フランセを作る必要性を感じた最大の理由は,経済的なものであった。東京に良質なリセ・フランセがない限り,フランス企業の社員を日本に来させることは困難であり,この状況は,フランス企業の日本でのビジネス展開にとって大きなハンディキャップであった。それでは,1967年5月にリセ・フランコジャポネが設立されてからは,フランス人が日本に来やすくなったのだろうか?
 なお,この研究の大部分は,フランス西部のナントの外交資料センターで閲覧した,未発表の公文書に基づくものである。

  単著   仏蘭西学研究   日本仏学史学会   2023(49),48-73頁   2023/06


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